色々とりとめなく考えてみた。喜び、しんどい時の考え方、そしてタイプ7について。
今日、家族に嬉しいことがあった。
義理の母と一緒に泣いた、喜んだ。
「涙が出るくらい嬉しい」にどんな意味があるのかと考えてみた。
そこにはやっぱり泣けるほどの悲しさや、悔しさがあったから、なのかな?と思った。
そうでもなかったら、この喜びってさ「当たり前に良かった」「普通に良かった」程度のこと。
そう思うと、今、苦しんでることがあっても、それは未来に味わう幸せや楽しみに繋がっているから大丈夫!と考えれば、
めっちゃ、今がしんどくて(TOT)やりきれなくて悲しかったとしても、
「これはフリや!良いことある前のフリや!!こっからどんな展開になって良いことあるんやろ?」
と、考えることにより、張り詰めている、なにかが、やわらぐのではないろっか?
しかしながら!!
「朝が来ない夜はない」とか「どしゃ降りのあとに虹がかかる」とかは、
今、夜なのが辛いんじゃーとか
今、どしゃ降りなのが耐え難いんじゃーーということもあるが、、
(なぜ突然、関西弁、新潟弁、、、かは置いといて)
しかしながら、今、苦しい以上に、その後は、想像のななめ上をはるかにゆく楽しいハッピーな出来事がやってくるかもしれへんよ、そう考えてみー?思ってなくても、言ってみる、コレ、大事なことかもしれへん!
あ!関西弁な理由が思い出せた!
これ、こんなようなこと、何日か前に、ピースの又吉さんがめっちゃ響くこと言ってたから!!!
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この件、次回のブログで文字おこしします。
乞うご期待!!
嬉しき出来事の突然の報告。
良かったね、良かったね、本当に良かったね(TOT)(TOT)(TOT)
感動をありがとう!
そんな喜びを噛み締めていたら、、、
その直後に出たエニアグラムカードがすごかった!!↓↓↓
まじ、ヤラセじゃないです!
おじいちゃんも喜んでます。きっと。
子犬だったマロンも16年生きてます。
マロンがいちばん?身近で見守っていた?
マロンも嬉しいでしょう。
人間の年では88歳になりました。
亡きおじいちゃんもいっぱいナデナデしていたマロンに、いっぱいナデナデして「また可愛い顔見せて!また会おうね」と言って、バイバイしてきました。
タイプ7のテーマである「喜び」。
以前、タイプ7の方に
「人生の目的ってありますか?」と聞いてみたら、
「そんなもんねーわ!しいて言えば、遊ぶこと!」
と、おっしゃっていたのが、タイプ7っぽくて非常に良いわーとチョット感動したことを思い出しました(笑)遊ぶこと=楽しむことが喜びなのかな?と。喜びを求めて楽しい企画をすること、楽しみを求めて楽しい企画をすることが人生の喜び。タイプ7の頭の中にある「喜び」「楽しみ」ってなんでしょう?同時に私の感じたい「喜び」「楽しみ」ってなんだろう??
私は「私らしさ」を褒められると嬉しくなり、喜びます。でもタイプ7の方は、自分らしさを褒められることは当然であって(自信がすでにある)その先にあるものを喜びとしている気がします。その先にあるものは、人の役に立ち、注目されること、とか人気が出て目立つとか?
あくまで、わたしの見解ですが。
タイプによって喜びポイントに違いがあると思います。「理解できる」ことが喜びのタイプ、「完璧にできる」ことが喜びのタイプとか。
タイプ7(熱中する人)の方は自分が楽しみたいからこそ、人にも楽しんでいてもらいたいと思うのです。そこもタイプ2(人を助ける人)とは少し違う感覚な気がします。
違いを知れるのは面白い!
そして、感覚の違う者同士が組んで一緒になにかをやることは、お互いの盲点をかばいあえるので、非常に良きことと思います。
ですから!
素敵なタイプ7の明朗さを根暗な私は憧れに感じると共に、内なるタイプ7も必要時に出せるように育てていきます。
おわり。