私の寂しさはどこから来る?ちのさん資料9より
過去を遡って私が感じた寂しさとは?
これは、一回で終わる気さらさらしないので、今回は9番目テーマより。
(9、というのは後ほどわかります)
まずは、
私が感じた寂しさ
について。
その時の感情と共に味わってみることにする。古い記憶順。
子どものときの一番古い記憶は、楽しいものじゃなく、もうすでに寂しかったという(笑)
・砂場でひとりで遊んでる。遠くにみんなで楽しそうに遊んでる子たちを眺めてる。
うらやましかった(と、思っていたのではないか)
・保育園の時に私も園児が乗るバスに一緒に乗りたかった。(と思っていたのではないか)私は父が仕事に行く前に父の車で送ってもらっていたので、保育園についたら、ひとりで寂しかった。(みんなと一緒が安心だったのではないか。)
・保育園のイベントでお父さんが写真を撮ってくれたけど、楽しそうにできない自分が嫌だった。(撮れた写真の私は哀しそうに見えた)そんな私を見てお父さんががっかりするのは見たくない。お父さんが嬉しそうに撮るから、撮らないで!と言えなかった(のではないか)
涙が溢れてくる( ;∀;)
楽しく無邪気なはずの園児がなぜこんなにもはや、寂しさを感じてしまうのだろう?? なんなん?わたしー。泣ける(T_T)
なんの涙か?
たぶん、こんな、心から楽しめない自分が可哀想だ、みじめだということか?
たぶんもっと前の記憶で、私の憶えていないところで何かあったのかもしれない。
もっと遡ってみる。
もはや記憶がない部分なのだが、私が生後9ヶ月の時に、父が土石流災害に遭っている。現場調査をしていて二次被害に遭い、橋から転落し、木につかまっているところをヘリコプターで救出され、九死に一生を得ている。まだ父の生存が確認されていない中、赤ん坊の私は、周囲の異変を察してからか?泣き続けていたという。とても不安だったと思う。
またこんなことも聞かされた。私が乳母車に乗っていた時に、坂道で父に手を離されて、私は腕を脱臼した。とても恐怖だったと思う。どうなのかな?怖いという感情あるのかな?けど、それにより、私は落下し怪我をしたから痛みを伴っている。
物心ついて、子どもの頃の恐怖感は何か?思い起こすと、親が突然しんでしまったら、いなくなったら、独りになったら、どうしよう?という恐怖だった。(しかし誰にも言えなかった。)
しかし、だからと言って、その不安、恐怖から、普段から私が親に甘えられる子だったか?と言ったら、そうでもない。逆に平気なふりをする。注射でも泣かない子。3つ下の弟はギャン泣きしてるのに。
臆病かと思えば、どっかに置いてあった、熊の剥製にも怖がらず、乗った。弟は、熊が怖いとギャン泣きして乗れなかった。ジェットコースターも大好き、車酔いもしない。お化け屋敷はだめだった(一体なんの話?!)
気を取り直して💦
最近、友だちの子どもたち(年長〜高校生まで)を見ていて、他者の前でも堂々と素直に甘えられる子どもの姿に、正直、びっくりした。ここでいう甘える、とは、他者の前でも母親に抱きついたり、ちゅーをせがんだり、腕をからませたり(組んだり)ということ。私には出来なかった!!!
私には子どもがいないので、子どもに免疫なかったので(姪っ子いるけど離れて暮らしているし)子どもの素直な反応に、これが普通なのか?とか、子どもらしいってこうなのか?とか、ただただ最初は驚いて、自分は出来なかったことが出来ているその子どもたちを羨ましく思った。(甘えたかったんね、そうしたかったんね、私)
しかしながら!!
私は決して愛されてなかったわけではなかったし、むしろ過剰すぎるほど愛されていたのにね。なぜか、うまく受け取れてなかったのか?欲しい愛情が(欲しい褒め言葉)もらえてなかったのか?
そういう体験が私の寂しさを作ってきたと思ったのです。
なぜなら、
寂しさは性格ではない by ちのよしかず
・・・だ、そうだ。ちのさんによると、
性格は変わらないものらしいから、寂しさが性格によるものでないとしたら、寂しさは克服できるもの。
私はそれを聞いて、安心した。
ならば処方箋を。
ということで、自分で処方箋を出した。
タイムスリップして、当時の私に、今の自分に、こう伝えて抱っこする。
「大丈夫大丈夫。ユキちゃん、周りの、信頼できる人を信じていいんだよ。」
「お父さんも人間だからねー、手を離しちゃったのはわざとじゃないよー、お父さんも反省してるからゆるしてあげようね。そのあと、病院に連れていってもらったでしょ?良くしてもらったでしょ?心配してもらったでしょ?そのことを忘れないでね
」
「寂しかったね、切なかったね。でもね、私が私のそばにずーーっとそばにいるからね。私だけは味方だよー」
↑
その証拠に、私が私を励まし続けて、周囲の方の見守りで、45年生きている(←今ここ)
こっからは大事なので、大きな文字で!
↓↓↓
ただ、その寂しさからの生きづらさ(時折しんどくて寝込む。楽しいことをやっているはずなのになぜか苦しい)はまだまだ続いていた。(現在進行系)
もっと大事なので、もっと大きな文字で
しかしその苦しみもうすぐ終わる。
もうすぐ、もうまもなく終わる予定!そうなのだ、寂しさは克服できると聞いたから。まもなく終わる、と言ったのは、寂しさはゼロにならなくても、持ち続けても、それに支配されないって意味ね。
さらに、その後の寂しさについて、生きづらさについて、記憶を呼び起こす。
小学生編
・人と同じことがうまくできない、言えない
(要するに不器用。吃音)
・自分から、輪の中に入れない
(グループわけで、独りぼっち、ぽつねんとする)
・グループにいても、まるで空気のような存在。悪い意味ねw
・悪気のない、「いたの?」とか、「忘れてた!」と笑われて言われる言葉に傷つく。
中学生編
・友だちの人間関係に悩む。優秀で美人な友だちと自分を比べ卑下する。
・好きな男の子に好きだと言えない。女友だちにも言えない。バレンタインディーでチョコを贈れる女子がうらやましい。
(私なんて、チョコをあげられるような人並みの女の子ではないと思っていた。)
・好きな男の子に「お前って暗いの?」と言われ、この世の終わりくらい、落ち込む。暗い自分はダメなんだと自己嫌悪
・テスト勉強のときに、私がドラマばかり見ていたら、母親に「○○ちゃんは、テレビなんか見ないで勉強してるよ」と言われ
嫌だった。言い返せない自分も嫌だった。
・・・ここまで書いてきて、上記のようなことはどこにでもあるような、誰でも持っているような体験。
そして、今の自分ならば、過去の出来事に対して、全部、対処出来る、
例えば、母親に遠回しに「勉強しろ」と言われたら、こう答える。
「うるさい!!私の今、大切にしたいことはドラマを観ること。それが終わったら勉強やるから。私の大切なものを大切にしてほしい。どうしても勉強すべき時なら、録画機能のテレビを買ってください(当時は録画機能がなかったブラウン管!!)
それにねー、遠回しに言うのやめてくんないかな?
言いたいことがあるなら、誤魔化さずハッキリ言って!!
「○○ちゃんは、ドラマなんて観ないでテスト勉強してるって」じゃなくて、
「お母さんは心配してる。『テストで点数とれなくて、あのとき勉強していれば良かったのに』ってゆきちゃんが後悔するの見るのつらいから、勉強してほしいと思ってる。」
とかさ、
そしたら、私も「心配してくれてありがとう。でも後悔はしないよ、自己責任だよ」って素直になれたかもしれないし(なれなかったかかもしんないけど)
そこには、言いたいことをハッキリ伝えられず、祖母に対して我慢ばかりしている母の姿を目の当たりにして、平和を重んじて、直接対決しない母にイライラする私がいて。
(子どもはお母さんが大好きだから、母の心からの笑顔を見たいものだから。母が泣くのは見たくないものだから)
「何が言いたいのかわからない、遠回しに表現する母」にイライラしてたのかもしれない。無意識領域。そして、これは今、現在、私が、同じことを他者にやっている。けど、気づいたからもうやらないように意識できる。
しかしながら、母の気持ちもわかりみが深いのだ。伝わらない相手に何を言っても届かないことを母は知っていたから。
また、母にこんなことも聞いてみた。
私が0歳から3歳までに、お母さんが私に感じていたことをおしえてほしいと。
母はぽつりぽつりと話してくれた。
それは私にとって衝撃だった。
要するに、こういうことだった。
おばあちゃんが私のことを可愛い、可愛い、というから(おばあちゃんは男、3兄弟の母親だったから女の孫が産まれてたいそう嬉しかったようだ)お母さんはゆきちゃんのことを可愛いと思ってもおばあちゃんに遠慮して言えなかった。!!!
(それもおかしな話だよー )
お母さんがしたい子育てがあったけど、おばあちゃんが強くて、おばあちゃんに合わせてしまっていた。
(なんということだーーー!!!)
母も苦しんでいたのだ。
そしてたぶんこの頃の母親からもらいたかった愛情が満たされてなかったのかな?
などと勝手に自己分析した。
なので、今、母はまだ生きているので、
なにを隠そう、昨年末から、離れて暮らしている母と交換日記をしている(笑)
今月の私のお願い、として、こうオーダーした。
私は両親に怒られた経験とか、言われて嫌だったこと、叱咤激励ならすぐに思い出せるけど、具体的に褒められたことって、なかなか出てこないから、どんなことで私を褒めてたか、おしえて欲しい♥と。
そしたら、ラインで短い文で、
「優しい子」「いい子」と褒めたら、ゆきちゃんは、「私はいい子なんかじゃない!いい子いい子言わないで!!と言った。続きはまた書くね、と。
と返信きた。欲しい褒め言葉じゃなかったらしい(笑)
難しいねー、めんどくさい子だねー、わたしゃ。
今なら、「優しい、いい子」は、嬉しいんだけどね、当時は受け取れなかったなー。
なんだろーがんこなのかな?泣
寂しさ=不足感
寂しい状態=落ち込んでいる状態
と、ちのさんは表現された。
満たされない、落ちこんでいる人生はこれからいくらでも変えられる。育ちがどうであれ。
私はそう信じている。
ちなみに、セミナーで仰ってましたが、ちのさんのお母さまは、ちのさんが怪我したときとか、殴られたときとか?状況はわかんないけど、痛かったときに、
「いてかったね(痛かったね)いてかったね いてかったね」と言ってくれたそうだ。
痛いのに「泣くなー」なんて、痛いから泣いてるのにおかしいよね。痛がってる相手より、痛がってる相手をみるのがつらいだけ、要するに相手より自分が大事だからでしょ?って話でしょ、って思う。だから、痛くない、なんて言ってしまうのだと思う。痛くないって思い込むと痛くないよ、っていう優しさなのかもしれないけれど。
色んな考え方がある。
されど、私は
「痛くない!痛くない!泣くな!」
と子どもに言っている親に、まれに人生で、遭遇すると胸が痛くなる。
だって痛いよー。痛いもんは痛いんですよ。「傷つくな、怖がるな」と傷ついてる、怖がってる相手に言われても、痛いし、傷つくし、怖いし、悲しい気持ちになっちゃってるときは、どうしようもない。
人が信用できない頑固な私だからですかね?
子どもだって同じで、泣きたいくらい痛いから、痛いし泣く。
けどね、ちゃーんと受け止めてもらえた方が嬉しい。傷はなおるし、泣き止んだらまた元気が戻ってくるんです。
だからどうか!
泣かせてください。
泣ききったら終わる。
泣くな、と言われてひっこめた涙はずっとずっと心の奥底で「我慢」という名前でたまって、大人になってから、それは出てきちゃうんですよー。
だから、今、私はたくさん泣いてます。
「泣くな」と言われてきたから。
介護施設のお年寄りが「痛ぇーーー涙出るわーー」と言うと、「アァー痛いですよねーー痛いね痛いね」と言って欲しい。
ふたりで痛い痛い、涙出るねーと言って処置を終わる。終わるとけろっとされる(笑)
「痛くない!痛くない!」と言って処置する職員もいるけど、その場に自分がいたら、いや、痛いはずだよー、とツッコミます。
注射のときも、痛い!痛い!と吐き出したときの方が痛みって和らぐってなにかで言ってました。
こういう、自分が知らなかった知恵を得ることも大事ですね。
なので、永遠の難しいテーマから逃げずに(あまりの辛さには、ときには逃げるもヨシ)
学び続けていきたいです。
「寂しさを隠すと孤独になる」↓↓↓
知野吉和の「介護職員のモチベーションを考えるブログ」より
http://www.kaigogoyoukiki.net/niigata/blog/001/?p=1511
余談ですが、先日、神奈川県の藤沢に、
行ってきました。
ありがとうございました!!
神奈川・横浜の旅。
飛び切りの優しさを持った友人ふたりと行きまして、電車乗り継ぎ道中、私が子ども役になって甘える、というごっこ遊びをして、とても楽しかったです。私を怒らない、私を甘やかしてくれる貴重な友人(友人にはそれぞれの役割があると考えています。なのでちゃんと厳しさを持ってちゃんと叱ってくれる別の友人もいます)です。
不器用な自分にとって、心の苦しみが多かった人生でしたが、私の強みは友だちです。不器用だったからこそ出来たかもしれない友だちかな?と思います。そう思うと、不器用万歳、寂しがり万歳なのです。\(^o^)/
あんなに輪の中に入れなかった、ゆきちゃんの成長の証なのかな?と思います。
悲しみに暮れる日もあるけれど
レッツゴー人生。
落下脱臼ゆきこ
熊乗りゆきこ
ブラウン管ゆきこ
落ち込み不足感ゆきこ
寂しがりゆきこ
「悲しみの果て」エレファントカシマシ
部屋を飾ろうコーヒーを飲もうゆきこ
涙のあとには笑いがあるはずさゆきこ