昨日、久しぶりだから楽しみにしてた介護のZOOM勉強会だったのに、一時間を経過後(2時間の講義でした)お腹が痛くなり、どうにも耐えられず退出してしまった(T_T)
YouTube学習もいいんだけど、そのあとの質疑応答とかの時間がリアルタイム参加での醍醐味であり!
そこも含めて楽しみにしていたのに、ガックシ。
そのまま、風呂も入らず、朝まで眠ってしまった。
色んな意味で痛い。。。
タイムリーに友だちの「保育園の時、いじめられていた」というSNSのカミングアウト投稿をみて、
私も思い出した。幼き頃の保育園児、ちっちゃいユキちゃん。ちっちゃいユキちゃんは、砂場でひとりで過ごしていた。砂場から、向こうの方で楽しそうにみんなで遊んでるのをうらやましく眺めてる映像が浮かんできた。ユキちゃん、あの中に入れない。
小学校にあがっても、ちっちゃいまんまのユキちゃんは、先生がグループを作れー!と言ったときも、ぽつねんとしてた。余ったから、仕方ないから、どこかへ入れてもらう。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、私でごめんなさいっていう肩身の狭い感じ。
高学年になっても、ちっちゃいまんまのユキちゃんで。グループで紙芝居をやることになって、配役を決めるとき、自分だけ決められてないことに気づいたけど、言えなくて、そしたら、同じグループの人気者の女子が「あ!ユキちゃんがいた!!」って言ってくれて、私は恥ずかしくて、心の中で私はまた、「私が居てごめんなさい」って思った。
その頃からなのかなぁー?自分なんて居なくていい存在だ、とか、いつも取り残されて、可哀想な存在だ、とか、私、居ない方が良かった、とか思うようになったの。自分が恥ずかしい存在だと思っていた。今も根っこの部分でそれが残ってることを時折思い出す。それで思い出し泣きしてしまう。
だから、現代でも、置いてけぼりな出来事とか、
自分だけ出来てない状況とか、自分だけ理解出来てない状況に陥ると、軽いパニックに陥り、落ち込み、自分なんか消えてしまいたい、自分で居たくなくて、誰かになりたい!と衝動的に思ってしまう。
「ついて行かなくてはー」「置いていかれる」
「見放されるー」「見捨てられる」「取り残される」「あきれられる」「愛想をつかされる」
「自分ががんばらないと、失ってしまう」
という、独りぼっちになってしまう恐れがあることに気付かされる。寂しさ。
Oh〜寂しさちゃんよ〜また居たね〜。
不安らったね〜。
大丈夫なのにね〜。
今日もまた寂しさちゃんと手を繋いだよ。
安心したら、旅立っていくんらね❤
ららちゃんは、いつも独アルパカで、ぽつねんと、ユキコの帰りを待っているろも、寂しくないんだて❤ みてみて〜❤ららちゃんには、いつもこんなに居るんだて〜❤
えーーー。
虫歯になっちゃうよー、ららちゃん。