人は時に悪口を言いたがる。
うーん、「人は」っていうと、「いや、私は(俺は)違います。」っておっしゃるひともいるかもだからー。
「“私”は時に悪口を言いたがる」に、しとこう!キリッ( ・ิω・ิ)
いや、いつもじゃあないよっ!アセアセ(自己弁護)
色んな種類の悪口があったりするけど、ピンポイントで嫌なことを言われたりされたりして怒る(いかる)の方じゃなく、
自分とは合わない人の言動を見つけて、これは嫌ややわぁーーーーって細胞がざわっとする類の話です。ざわざわ。ざわわざわわ(←これはちょっと言いたくなっただけ。)
ウワァ〜〜ウワァぁ〜〜これイタイわぁ〜
恥ずいわぁ〜〜見ていられないわぁ〜って類のだれか(他人、知ってるひとも知らないひとも含めて広く)の話です。
ふと、我にかえると、完全に自分を棚に上げてるよなーって悪口を心の中で言いながら、よぎるんだけど、とりあえず、棚の上に置いとこ♪って思いながら、ざわわざわわを味わう。見なきゃいいのに、見ちゃう。怖い物見たさ?
そのイラだたせる、ザワッとする相手は実は自分の中にいる自分の姿だったりするんだろうけど。
悪口をいうことで、自分は(あなたと違って)そうじゃない、と相手より優位に立ちたがる、要するに見下す。そしてさらにその話をだれかと共有できたことで、その人との親密さに酔いしれる。ネガティブなわかちあい?どっちにしろ、私には承認欲求と所属欲求がある!
悪口っていうと、聞こえが悪いけど、分析っていうとなんかかっこいい!!言葉って毒にも薬にもなる。便利や〜。使い方を誤ると大変な目にあって、シュンとするけど、それも経験だ。生きてる証拠。
「私は悪口言ってんじゃないよ、そのひとを分析してるんです。」って例えば、言ったとしても、必ずや、「いや、要するに悪口じゃん!」ってなる人もいるけどねー。受け取り方は人の数だけある。
「暇なひとは他人の悪口を言う。」とも言われる。それは「たしかに!!」と思う。
他人にかまう隙があったら、参考書の1ページでも読んで自分の知識を高める時間にあてられるから。
要するに「あんたは暇人だ!!と言われればそれまで(話は終わる)だけど、なぜか私は嫌いなやつの追跡をしたがる。それも探求心(前向きな良い言葉や。)執着心(後ろ向きな嫌な言葉や。)ともいう。
なぜだ?なぜ、そんなに嫌うのに、見なきゃいいのに、見たがるのか?
結局、相手がどうこうってことより、その相手を通して、「自分がどう感じるのか、どう反応してるのか」そこを見たいんだろうなー?自分の変化を楽しんでいるのかな?
悪口を楽しんでるんじゃあないよーー
自分の心の変化を楽しんでいるのだよーー!!
なんてね。
いつでも人間は未知なる自分に一番関心を持ってしまう。
けど、無我夢中の世界を知りたいんだよーー!!!!
自分より大切だと思える存在に出会いたいんだよー!!!!!
それがいちばんの快感のように感じます。
自分なんか忘れて無我夢中になりたいです。
昨日は一日中、笑い続けていた日でした。
悪口じゃないですよーあれ?悪口も言ってたかなー?(笑)都合の悪いことはおぼえてない。
何をそんなに笑ってたんだろ?
(そこも忘れたのか???)
ひとつ思うことは、
ひとが笑ってるのを見るのが面白い。
大好きな人がおかしそうに笑ってるのは嬉しい。楽しくなる。
笑ってると悪口なんて、どーでもよくなる、
笑ってるうちにうまくいく。
あ、それを言うなら、「笑っちゃうほどうまくいく」だった♪
友だちの好きな言葉。
大好きが散りばめられている一日を過ごせたことは、なにに笑ってたかとか、具体的に思い出せなくとも、良い日だったのだ。
もう二度と戻れない日で、ネクラ代表として、なんだか切なくもあるけど、それよりこれからまた作ってく方に進んでゆこう。
話が大いに逸れてるぞ。
悪口も良い思い出も棚に上げて、時々思い出したくなる時は、おろして、味わって。
それがその切なきかな人生。
最近、「人生は切ないもの」って言葉が愛おしいです。
ネクラ代表、ユキコです。
キリッ( ・ิω・ิ)