「顔が見たい。」と貴女は言った。
ミチさん(仮名)が昨日からご飯を食べなくなった。
「いらね。」と首を横にされる。
水分ももともと飲みたがらなかったけれど、甘いコーヒーやココアなら飲んでくれてた。でも、今朝からそれも全然飲まない。何とか水分の経口摂取を試みているんだけど、嫌がって口と目を閉じてしまわれる。
体温や血圧は異常なし。
そして今日ついに、お熱が出てしまった。
ミチさんは普段、就寝時間以外はリビングで過ごし、他の利用者さんやスタッフの会話を聞いてはニコニコとしているんだよ。だけど、今日はお部屋で過ごされる。リビングでミチさんの笑顔見れない(T_T)
トイレの訴えもない。(T_T)(T_T)
おやつの時間にお部屋に行ったら、目を開けていて
いつになく、か細い声で何かおっしゃるのでお聞きすると、
「百合子(仮名)の顔が見たい」と仰った。
認知症の症状も進んでおり、普段は、よく面会に来られる息子さんの名前しか出て来ないことが多い。だが、今日は聞き慣れない「百合子さん」というお名前。
「どなたですか?」と聞いても、「百合子、百合子
百合子の顔が見たい。」と言われる。
こういう事を聞くと、お盆も近いし、あぁお迎えが来ているのかなぁ、近づいているのかなぁ、などと思ってしまう。
私の思い過ごしで、明日にはケロッとして美味しそうにご飯食べてくれるといいんだけど。
考えてみたら、私が新潟市から引っ越して、それを期に再び、高齢者介護の仕事に転職し(それまで高齢者介護職から3年離れていた。)今の特別養護老人ホームは丸2年たち、3年目突入。この間に関わらせて頂いた利用者さん何人が旅立ったか?10人以上、施設での看取りで亡くなった方、病院へ搬送されて入院中に亡くなった方も含めて。
当たり前のように笑ってお話してくれたおじいちゃんおばあちゃんに会えなくなって、話せなくなって手を握れなくなる日は確実に来る。それが現実。
会えなくなる事がとっても悲しくて寂しくて涙が出る反面、「早く向こうへ行きたい。」
「早くお迎え来てほしい。」「しんだほういいんだ。」「こんげんして(新潟弁で、こんなふうにしての意)生きててもしょうがない、ころして欲しい。」こんな言葉を言われる方も本当に多かったので、悲しい気持ちと同時に「お迎え来たんだね、やっと帰れたんだね、会いたい人とは会えたかな?体は楽になれたんかな?」と安堵感も混ざった気持ちになるんだよね。
居なくなってしまったお部屋のお掃除を担当させてもらったりすると、泣きながらそんなことを思う。
死後の世界、踏み入れた経験はないけど、天寿を全うしてしぬことが出来たら、あの世で待ってる人、
迎えてくれる人がいるって話を聞いたことがある。
らら「ららはしんだらどうなるの?」
ユキコ「ららちゃんはしなないんだよ。」
らら「ららは丸焦げになったらしぬってユキコは言ったよ。」
ユキコ「丸焦げになったらね。」
らら「((((;゚Д゚))))ガクブル。」
ユキコ「大丈夫だよ、私はららちゃんを丸焦げにはさせないから。」
らら「ららのいのちはユキコが火事させないかにかかってるんだね。」
ユキコ「そうだよ。わたしがしんだら、、、」
らら「しんだら???」
ユキコ「ららも丸焦げになるんだよ」
らら「((((;゚Д゚))))ガクブル」
ユキコ「しぬときも一緒らよ。」
らら「まだ生きてね。顔が見たいよ。」
ユキコ「はい。顔見せるよ。」
らら「ららは毎日寝て待っているからね♥」